根本病とリフレ

世代間格差論では同意見だが、大阪都構想で意見が合わなかったメカAGさんの記事。

通貨安競争という幻 : メカAG

私はどちらかといえばリフレ政策寄りなので、その点は別によいのだが、他の点が気になった。

大胆な改革、根本的な問題解決というのは、リスクが伴うものだ。そういうことを先送りにしてきた日本を日頃批判している人たちが、いざそういう方向に日本が踏み出そうとすると、「○○になったらどうするんだ」「うまくいく保証があるのか」と言い出す。日本の先送り体質の元凶は自分たちだろうに。

大きな改革は必ずしも良いことばかりをもたらすわけではない。しかしそれをはじめなければ次のステップに進めなかった。問題に前向きに取り組むということは、相当なリスクを伴うこと。当たり前。リスクがないならみんなとっくにやっている。リスクに耐えることが前向きな問題解決なのだ。日頃日本政府や企業を「問題先送り」と批判している人たちは、まさかノーリスクで問題解決ができる魔法のようなものを想像しているんですかね。

少なくとも、この部分は私のリフレ政策の支持の考え方と正反対である。

最近、海外から日本の右傾化を指摘する声が大きくなっている。中国や韓国だけの話ではない。ニューヨークタイムズ、ルモンドetcからも指摘されている。
維新の会やみんなの党の躍進を見てもそうだが、これらの勢力の躍進は閉塞感漂う日本経済に大きな要因があると私は見ている。
ヒットラームッソリーニを出すまでもなく、恐慌時は過激なことをいう勢力が伸びやすい。

以下は、リフレ派の田中秀臣氏の記事である。田中先生というか、リフレ派に支持できないことはいろいろあるけれど、この記事は同感である。

田中秀臣「二・二六事件と“改革病”」 - ビジスタニュース

しかし私はこのような三木清二・二六事件からの歩みは間違いであったと思う。まず日中戦争勃発時に、天下り的に日中親善を唱え、「思想的課題」として東アジア共同体的な発想を謳ったが、それは戦争状態を思想的な問題に摩り替える詐術を伴うものであった。やがてこの戦争状態という目前のリスクをみない姿勢は、大東亜共栄圏とそれによる日本の現状の改革というユートピア的な産物に化身していく。実は、二・二六事件の衝撃が、このような目前のリスクに無頓着な構造改革主義を生み出すだろうと、事件当時いち早く注目した人物がいる。当時の『東洋経済』編集長石橋湛山である。

「記者の観るところを以てすれば、日本人の一つの欠点は、余りに根本問題のみに執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われている。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。
 これは右翼と左翼とに通有した心構えである。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を資本主義の余弊に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術を拒否しながら、現在の右翼は何時の間にかこれが感化を受けている。資本主義は変改されねばならぬであろう。しかしながら忘れてはならぬことは資本主義の下においても、充分に社会をよりよくする方法が存在する事、そして根本的問題を目がけながら、国民は漸進的努力をたえず払わねばならぬことこれだ」
(「改革いじりに空費する勿れ」昭和11年4月25日『東洋経済』社説)。

何か予想だにしない大事件が起きたときに、「根本問題」に惑溺することで、目前のリスクを見失うな、という湛山の教訓はいまも重い。

私は、維新の会の船中八策参議院の廃止、首相公選制)や大阪都構想は、石橋湛山のいう根本病そのものだと思う。
これらは実現するのに膨大なリソースがさかれてしまう検案であり、その間に多くの本当に必要なことがおいてけぼりにされてしまう。
また、そもそもこれらの政策の効果に疑問がある。日本の人口当りの国会議員数は多くない。人口当りの公務員数はむしろ少ない。日本は国民負担率も小さく、すでに“小さすぎる政府”。また、人口100万人以上の都市は世界でも普通であり、
府に権限も財源も剥奪される都構想が大阪のためになると思えない。分割された各区にそれぞれ区役所、区議会、区議会議員その他施設が必要で
行政コストがよりかかるという指摘もなされている。(都構想を支持する人は、横浜市は300万人という“大きすぎる”都市なのだが、解体して神奈川都にした方かいいのだろうか?)

百歩譲って大阪市を分割した方がいいとして、それは都構想などいらず、政令指定都市の取り下げや分市すれば法改正など全くせずに可能なことである。あえて高いハードルをかかげてスローガンにして選挙を有利にするための策略ではないのか。

制度を変えればうまくいく!と言って、変えなくても、いや変えない方がいい制度を変えようとしているとしか思えない。

これらは、民主党の「脱官僚・政治主導で16.8兆円の財源は簡単にできる」「埋蔵金があるから増税不要」といっていたのと大差ないと思う。

私がいろいろ疑問があってもリフレ政策寄りなのは、リフレ政策による日本経済の回復が、これらの根本病にかかった勢力の勢いを削ぐことになるであろうという期待があるからである。リフレ派の元祖石橋湛山も言葉本来の意味でリベラルだったし、その点では社会民主主義勢力がリフレ政策を説くのが本来自然であって、維新の会やみんなの党が日銀法の改正などを訴えているという“ねじれ”があるのが日本(独特?)なところなのだろう。この辺はhamachanブログに詳しい。

参考に松尾先生のブログ記事を。
欧州左翼はこんなに「金融右翼」だぞ〜(笑)

ヨーロッパの社会民主主義政党の集まりの「欧州社会党」は、完全雇用実現のためにヨーロッパ中央銀行の政策の重心を変えさせることを主張していて、そのためにユーロ圏の財務大臣の会議(Eurogroup)を、ユーロ貨に関するすべてのことの決定機関とすべきだとしています。
 また、ヨーロッパの共産党などの集まりである「欧州左翼党」は、金融政策と財政政策が協調して完全雇用をめざすために、欧州中央銀行を「民主的コントロール」のもとにおくことを主張しています。そして、「欧州中央銀行の役割は、インフレを制御するばかりではなくて、万人のための雇用や雇用水準の増加やエコロジカルな持続性といった政治的目的にそったものでなければならない」と言っています。2008年の経済危機後には、はっきりと「欧州中央銀行の独立的性格を改め、幅広い民主的なコントロールのもとにおくべきである」と表明しています。

さらに、フランス共産党系の新聞「リュマニテ」2011年12月1日の記事を見てみましょう。

そして、「左派と呼ばれるに値する左派政権は、ただちに次の方向を押し進めるべきです」として、いくつかの提案をあげていますが、その中に次のようなものがあります。

第三に、欧州中央銀行が各国の国債を買い支えるのをEUが認めることを提案すべきです。政府は、フランス中央銀行自体が同じことをするよう直ちに要請すべきです。

最後に。私がリフレ政策寄りと書いて、リフレ派だと書かなかったのは、リフレ政策にどれほどの効果があるのかいまいち確信が持てないからです。
ただ、仮に気休め程度の効果しかなかったとしても、やらないよりやる方がいいならやった方がいいとは思ってます。

それと、リフレで経済成長が可能というのも過大な物言いではないかと考えています。アメリカの2000-2010の人口成長率を差し引いた、一人当り実質GDP成長率はなんと平均で0.7%なのです。リフレ派が理想化する金融政策を行っているアメリカでの話ですよ。
最適成長論を出すまでもなく、先進国は、総じて低成長の時代に入ったと私は認識をしています。(一人当り)実質2%や3%が可能なのか疑問だし、可能としてもそれが最適な成長経路なのか疑問を持っています。

あと、リフレ政策自体はまあ良くてもリフレ派の面々には他のところで支持しがたいところが多々あります。
前の記事で書いた世代間格差の件でも、社会保険料は100%賃金に転化されると過去に岩田規久男先生は過去に書いていたし、年金は積立方式がいいとも書いていました。
私はこの点は到底支持できません。年金を積立方式にするというのは、維新の会もみんなの党も公約に書いてましたが、これらもまさしく根本病でしょう。
ちなみに、同じくリフレ派でも高橋洋一氏は年金を積立方式にするのは非現実的だと的確に指摘しています。

参考
高山憲之「科学的装いを凝らした八田氏の”信念の表明”書 公的年金積立方式化への疑問」 
高山憲之(2002)「最近の年金論争と世界の年金動向」
 

世代間格差?

社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ〜 社会保障制度の“世代間栺差”に関する論点 〜

のスライド内容に問題があるとは思えない。

ところがニュースの社会科学的裏側で非難されている。

厚労省の公的年金負担の世代間格差に関する主張のバカさ加減について

「意味不明で全く理解できなかった。一橋大学経済研究所の小黒一正氏が真面目に検証しているが、ぱっと見からしておかしすぎる。」

とりあえず目に付くところだけ書く。

【問題点2】割引率の問題?

利回りで割り引くのが不当だとしている。しかし、割引率は公的保険料を払わずに独自に貯蓄を行った場合の期待収益率をあらわすので、利回り以外で評価のしようがない。

スライドp.25を見てほしい。

現役時代の20 代、30 代、40 代、50 代の4 つの期間に保険料を10 ずつ支払い、受給開始後、60 代、70 代の2 つの
期間に20 ずつの年金を受給するというシンプルな制度を仮定する。これは、合計で40 払って、40 もらうこととなり、世代
ごとの人口構成が同じと仮定すれば、世代間栺差の生じる余地のない公平な制度である。

賃金上昇率が0、人口構成が不変の場合である。これは普通の理解では世代間格差がないとされる場合である。
ところが利子率で割り引くと、給付/負担の比率がすべての世代で1を割り込んでしまう。
利子率で割り引くと、すべての世代で給付より負担が大きくなる。
賃金の上昇率で割り引くならこういうことは起こらない。

つまり、利子率で割り引くと世代間格差が算定上大きくでるということ。

そもそも世代間格差というのは、お金でなく効用で測らなければならないと思う。その場合、厚生の指標を作成するのには
割引率は利子率でなく賃金の上昇率の方が厚生概念としてふさわしいだろうということ。

またそもそもの話として、社会保障金融商品と比べていいのだろうか。
社会保障が整備される前は、たとえば年金が無いもしくは不十分な時代は、若年世代は親を自分で扶養していた。
それが今は国を媒介して扶養しているだけである。親の扶養を金融商品つまり儲かる・儲からないという基準で比較すること自体、
そもそも違和感を持つ。

【問題点4】事業主負担の扱い?

社会保険料支払に事業主負担を含めているが、妥当ではないとしている。事業主負担が無ければ労働コストが安くなるので、賃金が増えたり、雇用量が増えたりする。労働者に還らずとも、株主への配当が増え、消費者に還元される事になる。だから事業主負担も計算する必要がある。

社会保険料支払が労働者に、特に賃金に転化されること自体は私も否定しない。問題なのは100%は転化されないだろうし、
転化先も多い。生産物価格の引き上げ(前転)、原材料や生産要素価格の引き下げ(後転)、経営合理化(消転)などいろいろな転化がある。
外国に輸出する場合は輸入する方に転化される。またそもそも転化には時間がかかり得る。

100%賃金に転化しない場合は、例えば90%の転化の場合、労働者としては“得”になり得る。

つまり事業主負担がないよりある方が労働者にとっては、得になる。事業主負担分は労働者にとって意識されない部分でもあるし、その分を除いて
考えるのも一つの自然な考え方。

逆に、事業主負担も全部労働者が負担したと仮定すると、実際は労働者に転嫁されていない部分まで労働者が負担している扱いになる。

メカAGさんの
若者搾取関係記事
も参考になる。

総じてみると、ニュースの社会科学的裏側の管理人は、世代間格差があるに決まっている、と思いこんでいるのではなかろうか。
いったいバカなのはどちらであろうか。

“りふれは”のことかと思った。

「『右』も『左』もない」なるドグマにとらわれ切った池田香代子
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120715

なぜ西尾幹二などと「共闘」する必要があるのだ? どうして「別個に進んで共に撃つ」ではいけないのか?

私がなぜそんなことを言うのかというと、この手の「『右』も『左』もない」統一戦線を組む試みは、そこからはみ出した人間に対する「大政翼賛会」的とも「村八分」的ともいえる「排除の論理」を容易に生み出すからだ。

“りふれは”は、歴史修正主義松原仁には何にも文句を言わないのに、リフレ政策自体には反対していないhamachanにはえらく冷淡な対応をとる。
どうみても歴史修正主義の方が大問題だろ。まして松原仁は政治家でデフレ脱却議連の代表もしているのに。

私自信は松原仁や金子洋一も、構造改革シバキアゲの高橋洋一も全部嫌いだけど、リフレ政策支持の一点だけでよいといのがリフレ派だ、というのなら納得はしたい。だが実際は、リフレ政策支持でも増税社会保障充実派のhamachanには冷淡な対応をとるのが“りふれは”。(ちなみに、私もhamachanと同じく増税社会保障充実派。)

歴史修正主義構造改革シバキアゲとは「一緒に進む」にの、増税社会保障充実派とは「別個に進む」のが“りふれは”。
すべてと「別個に進む」のならまだ理解できるんだけど、これでは理解できない。

ついでに。kojitankenさんは脱原発派で再稼働反対派。
私は、脱原発派だけど、安全対策をした上でとりあえず再稼働して、新規原発の建設をやめて数十年掛けてやめればいいんじゃないかと考えている。
数十年かければ、さすがに太陽光発電なり風力その他の技術革新で原発なしでもやれるんではなかろうか。

もちろん、経済への悪影響を我慢するならば、再稼働なしでもやっていけるかもしれない。トレードオフなわけ。
私は経済への悪影響を心配するからとりあえず再稼働して徐々に減らせばという立場なだけで。
火力発電の燃料費に一年で3兆円かかっていると言う話があるけど、それなら原発をすべて再稼働して、浮く燃料費数兆円を全部被災地に回せばとか
思ってしまう。

一方で心理的には、安全対策をしても大事故が絶対に起きないと確信を持って言えないのも確かなので、不安な気持ちも一部にはある。
だからもし東京に住んでいたらデモに加わったかもしれない。

リフレ派批判メモ

マシナリさんを絶望させる「りふれは」の惨状
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9595.html

事実にトンデモ論でコーティング
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-521.html

利権陰謀論という結論を書きたくて
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-522.html

扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part52
http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120710

私は初めはリフレ派にシンパシーを感じていて、日銀何やってんだと思ってたけど、
金子洋一や松原仁らとつるみだした頃から違和感を持ち始めた。
で、高橋洋一みんなの党とごっちゃになり構造改革シバキアゲ路線と変わらなくなってきて
ついて行けなくなった。